6月になりました。
大阪や神戸まで電車で30分もかからない都会にありながら、クリニックの周りには田んぼや畑が残っています。
田んぼには水が張られていて、もうすぐ田植えが始まるようです。
このあたりに田んぼが多いのは、”武庫之荘”という名前のためだと思っていました。
つまり、”荘”がついているのは昔このあたりが荘園だったからで、その名残で田んぼが多いのだと。
で、調べてみました。
このブログによると
”武庫之荘という名称は、平安時代の摂
関家藤原・九条氏領を経て、奈良春日社・興福寺
領となった武庫庄(荘)の荘園に由来するものでなく、単に各所の住宅開発地で名付けら
れた○○荘や××園などによる
ものである”
とのことで、武庫之荘は荘園でなかったと早とちりしそうになります。
しかしよく読むと、”武庫之荘”という名称が荘園由来でつけられたわけではないと書いてありますが”武庫庄”という荘園はあったと考えられます。
そこでwikipediaを調べてみました。武庫之荘あたりは昔『武庫村』と呼ばれていたようです。
その『武庫村』は
”常吉村・常松村・時友村(飛地を除く)・友行村・東武庫村・西武庫村・生津村・西富松村・守部村・西昆陽村(飛地を除く)・武庫庄村・川辺郡寺本村(飛地)の区域をもって発足”
とあります。
ここに”武庫庄”という地名が出てきました。
“武庫庄”で検索すると、このサイトにたどり着きました。
これによると、武庫之荘本町1丁目付近に武庫城という城があり、その付近は鎌倉時代には荘園があったとのことです。
この荘園が”武庫庄”ということになるかと思われます。
なお、武庫之荘という地名は小林一三さんが命名されたとのこと(wikipediaより)。
以上より
やはり武庫之荘本町周辺には荘園があったようです。
クリニックの周りの田んぼが鎌倉時代から続いていると考えると、ロマンを感じますね。
時間のある時に散歩して、昔の名残を探してみようと思います。